Programming Self-Study Notebook

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小二の娘に「『県』と『府』はどうして違うの?」と聞かれたので調べてみた

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 少し前から、小二の娘が日本地図に興味を持ち始めたようです。きっかけは読める漢字が増えてきたコト、そして天気予報に表示される地名に読める漢字がそれなりにあるコトだと思います。天気予報以外でも新型コロナ関連のニュースは地名が登場することが多く、小二の娘の脳にはコロナ以前に育った子供とは違う刷り込みががされていそうだと感じています。

 そんな娘から、話の流れで「『府』ってな~に?」「『県』と『府』はどうして違うの?」と聞かれた時に、はっきりとした答えが返せなかったので、自分なりに調べてみました。

廃藩置県』から調査開始!

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 まずは日本史の授業で耳にしたことがある『廃藩置県』から調査をスタートしてみました。

  • 廃藩置県1871年:藩を廃止して、その代わりに新政府直轄領の「県」を置いた。

 明治4年、明治政府が誕生したものの 地方の政治はまだ地域ごとに存在していたが実権を握っていました(政治的には分権状態)。 政府は国内を政治的にも統一するために、藩を統治していた知藩事(旧大名)を罷免させ東京居住を命じるとともに、明治政府から、府知事・県令を派遣し地方を府知事・県令を通して統治することで国の政治的統一を行うことを目指しました。

 廃藩置県当初は、3府・302県が置かれていました(現在の北海道を入れると1使・3府・302県になります)。 「府」は東京府大阪府京都府の3つです。

廃藩置県後の府県の統廃合

 廃藩置県は当初3府・302県という、現在の都道府県数からはかけ離れた数からスタートしていますが、これは藩をそのまま県に置き換えたたためです。県の数はその後の短い期間でダイナミックに変化したようなので簡単にまとめてみます。

西暦 和暦 府の数 県の数
1871年8月29日 明治4年7月14日 3 302
1871年 明治4年10月~11月 3 72
1872年 明治5年 3 69
1873年 明治6年 3 60
1875年 明治8年 3 59
1876年 明治9年 3 35
1889年 明治22年 3府 42県 ※

※ 沖縄、北海道は廃藩置県の対象外

後は廃藩置県の詳細として『府』と『県』の違いを調べれば調査終了かと予想したのですが、、、

『府』『県』の始まりは廃藩置県の前

 調査を進める中で廃藩置県よりも前にが存在していたことを知りました。

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 1868年(明治元年)、明治政府は地方行政の単位を定める制度として府藩県三治制を定めました。この制度により日本国内は「府」「藩」「県」と言う3つで区分されました。

単位 説明 統治者
城代、京都所司代、奉行により統治されていた土地 府知事
明治維新以前も藩として置かれていた土地 大名
府・藩 以外の土地 知県事

 当初、江戸幕府から引き継いだ直轄領のうち、江戸(東京)、大阪、京都、箱館、越後(新潟)、神奈川、長崎、甲斐、度会、奈良を「府」と定めました。そして、最終的に廃藩置県の直前には府が3つ、県が40、藩が261となっていたようです。

西暦 和暦 府の数 藩の数 県の数 備考
1868年 明治元年 10 ←府藩県三治制開始
1871年8月29日 明治4年7月13日 3 261 40
1871年8月29日 明治4年7月14日 3 - 302 廃藩置県開始

「『県』と『府』はどうして違うの?」と聞かれたら!

日本史が多少わかる人には、、、

 府藩県三治制を踏まえて、

明治政府が地方行政の単位を定めるときに、重要拠点をとしたときの名残で府が残っている。

と言えばわかってもらえる気がします。

小二の娘に説明するには、、、

上記説明だと小二の娘には伝わらない気がするので、もう少しかみ砕く必要があるかな~。

昔、「地域のことはその地域のことをよく知っている人が決めた方が良いよね~」ってなったから、日本の中に線を引いて日本を分けたんだ~。その時に「分けただけで、名前が無いと色々不便だよね~」ってなったから、場所に対して名前を付けたんだ~。名前を付けるときに「重要な場所には、名前だけで重要場所だということが分かるように名前の最後にってつけようよ!重要じゃない場所にはってつけようよ!」ってことにしたんだって!その時の名残で、当時重要だと考えられていた大阪京都には今でもがついているんだよ~。

これじゃ絶対に伝わらないですね。